カービィとの出会い

私の人生をこれほどまでに支配し、大きく歪ませた存在はこれしかないであろう。

 

ゲーム

 

まあ、ゲームといっても種類は沢山ある。トランプウノといった軽い物から、人狼や各種ボードゲームなど様々だ。合コンで阿保大学生が、覚えたての安酒を飲み散らかしながら合法的にセクハラを横行するために開発されたであろう王様ゲームも、一応ゲームと呼ばれているものに属するのであろう。中世の高貴なる王族たちは、後の世に住まう若者たちの乳繰り合いの道具に、自分たちの地位が勝手に使われていると思うと、さぞ遺憾であろうと思う。

 

まあそれは置いておいて、それはではピンとまっすぐに続いていたであろう我が人生の道を、直角ギリギリまでへし曲げたゲームというのがTVゲームだ。

 

1996年 某日

 

以前に書いた借家に住まう友人のYくんの家に幼児の私はニコニコと遊びに出向いていた。彼の家は大変狭く、遊びに行くと彼の父親が寝室で、洋画のサイコキラーが持つチェーンソーの様な爆音でいびきをかいていたことを覚えている。

(名誉のため補足するが、彼ら家族は数年後引っ越し、そこそこ大きな家に住まうことになる。)

 

そんな彼の家には、ひとつ、大きな財宝が眠っていた。

 

スーパーファミコン

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星のカービィスーパーデラックス

 

我々、長野博ウルトラマンをやってたのをリアルタイムで見てた世代には馴染みの深いゲームであると思いたい。

 

このゲームは綺麗なグラフィックとステージのボリュームが豊富で、カービィ様々な能力をコピーでき、とても多彩な遊び方ができるゲームだ。(私はジェット能力が好きだった)

そして一番の特徴がデータが飛びやすいことであろう。

 

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↑これ

 

このゲームはグラフィック処理の向上のため特殊なチップを使っており、とってもデリケートなソフトとなっているのだ。

ちょっとゲーム機に足を引っかけたりするだけで、たちまちカービィ達の冒険が消滅されてしまう。

 

Yくんと遊んだ次の日には、すでにデータが消えていたなんてこともざらではなかった。

だが好奇心と探求心が油田の如く湧きあふれる幼稚園児パワーの前にはデータが消えることなんて大したことではなかった。

 

でかいペンギン大王からプププランドを救い、データが消え、また今度は暴れるでかい鳥の育児を手伝い、データが消え、地元を戦艦で爆撃しようとするナルシスト一頭身仮面をしばき返して、データが消え

 

終わらないカービィの戦いは4,5歳の私にワクワクを与え続けた。

その結果、私はゲームという沼に両足どころか頭から浸かって行ってしまったのである。

 

きっとゲームなんてやってなかったら勉学に熱心に励む真面目な人間になれたであろうとも思う。(まあ無理だろうが)

 

だが、いいのである。

 

ゲームが無ければ私の人生は、私の人生でないのだ。

 

NO GAME NO LIFE ...!!!