第一章 そして兄になる。愛と友情と哀しみの幼稚園。
1996年 3月2日
幼稚園入園を控えた私のそばに、母はいなかった。祖父祖母の元にいるとはいえ、4歳児にとって両親が離れている事は寂しいものだが、私はそれを耐えられるだけの理由があった。
これから私は兄になるのだと。
数日後、生まれたばかりの弟を抱き抱えながら両親が帰ってきた。
この時私は多分、生まれて初めて見る自分よりも小さい人間に、身内として兄としてどげんかせんといかんと、就任したての東国原英夫の様にいき勇んでいたんだと思う。
1996年 4月某日 福島市内 某保育施設
そんなこんなで、私は幼稚園児になった。
以前書いた通り、当時の私はとんだクソガキだったのである。例えるなら身内以外の人間には心を開かない凶暴な小型犬の様な生き物で、保育士達を大変困らせていたと思う。
以下保育園の先生との会話を抜粋
Q.先生「おはようございます!」
A.私「おはよう...とは、言わないッッ‼︎‼︎」
(言え)
Q.先生「お名前は...?」
A.私「菅野石コロッッ‼︎‼︎」
(拓也だバカタレ)
また、暴れる私を捕まえた保育士の顎を目掛けてロケット頭突きしたり、雨の日友人と全身泥まみれになって帰って来たりと、手のかかるリトルモンスターだったのである。
そんな私も集団生活の中で角が取れ丸くなり、友人ができて落ち着いたのである。
よく遊んだ友人は、掘っ建て小屋みたいな借家に住んでいたY.Sくん。
今後小中高と長い付き合いになるS.Nくん
彼らと私は赤組に所属し、よく遊んだものだった。
赤組として1番深い思い出はRちゃんという女児との日々である。
Rちゃんは私に好意を寄せており、遠足に行く時や運動会の時もべったり私について回っていた。
私も私で、生まれて初めて受ける異性からの真っ直ぐな好意が心地よく、鼻の下伸ばしてデレデレしていたことは間違いない。
だが、幸せは突然終わりを告げる。
年長クラスに上がる際、大人たちによるクラス分けが2人を切り離した。
彼女は林組、なんとなく頭の良い子が集まっている印象だった。
私は池組、名前に通りなんか湿っぽい組だったと思う。組の担当保育士が柴田理恵似の強烈なババアだった事は良く覚えている。
池組に着任してからの私は、プランターで育てているアサガオから色素を抽出し、色のついた水を作るカラーコーディネーターとしての表の顔と、
送迎バスの中で手製の割り箸鉄砲や、ギッチギチに丸めたチャンバラ用の新聞紙ブレードを売り捌く武器商人という裏の顔を使い分け生活していた。
そんなある日、彼女と園内の砂場で再会を果たす。
駆け寄る私、その先にいた彼女の隣には別な男と、そいつと一緒に築き上げた砂の城が建っていた。
私は言う、久しぶりだと。彼女も同じく答えた。
勇気を振り絞り、また以前の様に遊んでくれないかと彼女に問うと、彼女はこう言い放った。
「いやだ、私は○○くんと遊ぶの、あっち行って」
頭が大きく揺さぶられ、目の奥が何とも言えん感覚に支配される。
そうシンプルにすごくショックだったのだ 。
目を下ろした私の視線の先には、砂塗れの固く握られた男と女の手があった。
それが、すべてを物語っていたのだ。
どうして、何故、私はいったい何を間違えた。
発表会の配役決めで私がジャンケンで無双し、複数人の女児を泣かせてしまった事か...
それとも友人と泥だらけになったって遊んだあと、友人と自分の新しいパンツを回収するため全裸で林組に乗り込んだ事がいけなかったのか...
何にせよ彼女を落胆させて、気持ちが新たな男の元へと向かって行ってしまったことは事実である。
張り裂けそうな想いを胸に、私は黙ってその場を後にした。
失った愛と哀しみに打ち拉がれながら帰りの送迎バスに揺られ家路に着いた。売れ残ったアサガオ水でリュックをびちゃびちゃにしながら。
長い人生の第一歩、私は愛とそれを失う哀しみを覚えつつ次なる階段、小学校へと人生の歩みを進めるのであった。
to be continued...