入院編②

前回のあらすじ

 

 

 

 

骨折して入院することになった。

 

 

 

 

 

さて、人生初の入院生活の幕開けである。

 

 

私の病室は一番奥の窓際の部屋。病室の中では一等地である。

 

 

 

そこに案内され看護師の兄ちゃんと持ってきた荷物の整理や今後の流れなどをざっと浚って後は夕飯までベッドでゴロゴロとラインをしたり漫画を読んだりしていた。

 

 

 

友人や関係各所諸々連絡を入れて、心配をかけてしまい大変申し訳ないなぁと思ってはいたが、この時は割とケロっとしていた。

 

有名な言葉で

馬鹿は風邪をひかない」という言葉がある

 

 

これは正確には「馬鹿は風邪をひいても鈍いので気が付かない」ということであって

 

 

例に漏れず私もこれに当てはまっており、相当鈍い生き物なので鎖骨はバッキリと折れ、両足は打撲まみれ、肋骨も一本やってる疑惑があり、顔面は鬱血パンダ

 

それでもなお、元気は有り余っていたのである。バカは強いのだ

 

 

 

 

そんなこんなで、夕食が届いた。初の病院食だ。

 

 

献立はご飯、、汁物、その他野菜。

ざっくりとこんな感じである。

 

うん。質素である。

 

 

だが、ナメてはいけない。

 

 

一口をほおばったが、まあ美味い

 

 

なんといいますか、空腹も相まってとてもおいしく感じられた。

 

 

ああ鯖よ、鯖、鯖、鯖。

 

 

 

という魚の評価を改めなければならんなぁと謎の感心して夕食を済ませた後

 

 

暇つぶしで読んだ某チェンソー漫画で

 

 

魚の白身はほぼ同じ味で油の量や触感しか違いがない

 

 

という情報を目にし、はたまた鯖の評価がまた少し変わったのは別の話である。

 

、きみは一体?

 

 

 

 

 

で、消灯時間がやってきた。

 

 

夜型の私はもちろん寝れんのだがそれ以上にとんでもないことが病室で起こっているのである。

 

 

ネットで調べた「入院にするのにあったらいいもの」の欄の中に

 

 

耳栓  というものが載っていた。

 

 

これは同じ病室の人でいびきが酷い人がいると大変なのであると便利だと書いてあったのだが、

 

私はまあ、大丈夫でしょうと高を括っていた。

 

 

 

で、結果どうなったかって言うとね。

 

 

 

ズ ガ ガ ガ ガ ガ ガ ガ ガ ガ ゴ ゴ  ゴ ゴ ゴ ゴ ゴ ゴ ゴ ゴ

 

ゴボボボボボ ボゴパッポ

 

ギギギギギギギュイイイイイイ

 

 

化け物が現れたのである。

 

お隣さんの様子は確認できないが多分チェンソーマンが暴れているのではないかと思った。そのレベルである。

 

今までいびきというものは複数回聞いてきたが、過去一のいびきであった。

 

 

 

まあそれがあろうとなかろうと寝れない私は、暇つぶしのために漫画を読みふけってた。

 

 

 

 

で、ある漫画を読んだんですね。

 

 

 

四月は君の嘘

 

 

 

って漫画なんですけどね。アニメ化、実写映画化もされた。

 

知ってる人はこの時点でどうなったか察しがついたと思います。

 

 

 

 

大号泣

 

 

 

 

最終巻を読み終えたときには、顔面が汁まみれになっていた。

 

 

マジで泣ける。

 

 

隣ではチェンソーマンが爆音のいびきを奏で

 

私はあふれる涙をぬぐい鼻水をブーブーいいながらかんで

 

 

 

病室中に汚いデュエットが響き渡っていた。

 

 

 

 

ああ、明日は手術日だというのにこんなんでいいのだろうか。

 

 

いいんだろうか....と思いながら、気が付けば私は夢の中へと落ちてゆくのである。

 

つづく。

 

 

入院編①

ええ、タイトルにある通りでございます。

 

 

 

個人情報の観点から大部分を省略いたしますが、

 

 

 

 

鎖骨をやってしまいまして、4日ほど入院してました。

 

 

 

 

まあ、鎖骨というのも骨折には二種類ありまして

 

・胴体に近い部位の骨折(固定療法でくっつく)

・腕に近い部位の骨折(遠位端骨折、手術が必要)

 

で、ご察しですが私は後者でした。

 

 

救急搬送された病院で「手術になると思うよ」と言われた時には、ああ俺もついに手術童貞を卒業するんやなぁ...と謎のセンチメンタリズムに浸っていた。

 

 

で、後日大きな病院で諸々の検査をした後、入院日&手術日が決定。

 

 

 

毎回毎回こいうい検査のたびに思うのが、尿検査で尿が出ない産みの苦しみである。

 

お水がぶがぶ飲んで、膀胱ぐりぐりして頑張ってちょろちょろ絞り出す。ギリ一回分しか残ってない歯磨き粉の気分である。

 

 

 

帰宅後、久しぶりにキャリーバックを引っ張り出して念入りに入院の準備をする。

 

傍から見たら楽しい旅行の準備であろうが、その実私は死地に赴く気分でパンツをバッグに突っ込んでいた。

 

で、入院日当日

 

小さなバッグを左肩に、荷物が詰まったキャリーバッグを左手アンバランスな装いで慣れないタクシーに乗り込み病院へ向かった。

 

病院到着後、受付に行くのだが受付の人が心配そうな顔でこちらを見ている。

 

タクシーのおっちゃんの時もそうだが、道行く人道行く人みんな心配そうな顔をしている。

 

 

それもそうだ、私の両目は鬱血しパンダの様に真っ黒になっていたのである。

 

 

個人情報の観点で画像は貼らないが、笹を片手に歩いていたら脱走したと思われるくらいにはパンダだった。

 

 

 

で、受付をすんなり済ませようとしたが、

入院保証金を忘れる

慌てて大きい鞄を探すも見つからない。

仕方がないのでコンビニに金を下ろしに向かうも道中で小さい鞄に入ってることに気づきUターン。

 

 

 

本当にバカなのである。

 

 

 

手続きを終え、看護師の兄ちゃんと我が病室へ向かう。

 

 

 

 

さて、人生初の入院生活の始まりである。

母の本棚

これは私が思春期真っ只中の12,3歳くらいの時の話である

 

私の母は本が好きで本棚にはアガサクリスティーの作品や赤川次郎などの作家の文庫本がずらっとならんでいた。

 

また漫画本も好きで花より団子やのだめカンタービレ等の漫画本も同じく陳列されていた。

 

で、私。もちろん漫画が好きで絶賛ドラゴンボールにハマっていた位のころだったと思う。

まあ思春期ってのは多感な時期で、今では考えられんがドラゴンボール程度のお色気要素で自身の如意棒がバチバチするほどスパーキングしているくらい多感だったりする。

 

で、好奇心旺盛な馬鹿野郎だった私は自分の読む漫画本だけなら飽き足らず、母の本棚の本まで勝手に読み漁っていた

 

だが、勝手に読むなとちょこちょこお叱りを受けることがあり表立って読むことができなくなり、母が買い物に行っている間などの時間にひっそりと読み漁っていた。

 

残念ではあるが当時の私にはレベルの高いラインナップであったためアガサや次郎はもちろん花男ものだめもぼんやりとしか理解が出来ていなかった。(後に両作品ともドラマ化されめちゃくちゃハマるのだが)

 

で、私は何をしたかというともっと漁りだしたのだ。ほかの漫画ねぇかな~と間抜け面で。

 

 

そして、見つかった。

 

押入れの奥のほうにもう一つ、隠された本棚があった。

流石の僕も隠しているものなのでこれは読んでいいものなのか?どうなんだ?とパンドラの箱を前にした愚者のごとく悩んでいた。

 

だが、好奇心が勝つのが人間という生き物の悲しいとこである。

 

パンドラの箱を、開いた。

 

中はややアダルティなレディコミ等など母なりの配慮で目につかないところに隠していたのだろう。

 

しかし、多感も多感、内容は理解できなくともエッチなことをしているなぁということだけは理解でき、押入れの中で摩訶不思議アドベンチャーを体験していた。

 

まあこれがばれないもので、しばらくの間母がいない間に押入れに潜り込むというアホな行動を繰り返していた。

 

で、ある時、夢中になれるモノが僕をやべぇ奴にしたのである

ハチャメチャが押し寄せてきたのだ。

 

 

いつもの如く隠し本棚のある押入れに潜り込むと新作を発掘した。

 

その表紙が今までのマイルドなレディコミとは打って変わって、切れ長の目をした顎の尖ったイケメンと、恍惚とした表情の短髪の貧乳?乳首にクリームを塗られているという、なにやらいやらしい感じのものが描かれていた。

 

私の股間のドラゴンレーダーはエッチなものだと即検知しており、その禁書を開いた。

 

開いてしまった。

 

朧げな記憶で済まないのだが舞台は学校で、顎のイケメンは生徒会長、そして短髪は書記とかそんな感じだったと思う。

 

で、読んでいてすぐに異変に気付いた。

 

ん?ズボン…?

 

あれ、この短髪の子って…?

 

あっ。

 

そう、BのLだったのだ。

 

 

子供の時にだけ、あなたに訪れる、不思議な出会い。

 

 

頭ではこいつが男であると理解できている。

 

だが

エロい

 

次々にページをめくりそして行為に及ぶ

 

その時点で私は少しパニックになっていた。

 

男??あれ相手も男で???

 

ん??

 

えええ?

 

で剥かれた受けの少年

 

なぜか彼の如意棒が見当たらない。

 

玉がねぇ、チンも。

 

おそらくは規制等の関係で性器を描けないのであろう。

 

それがまた私をパニックに導く。

 

そして顎イケメンの見えない神龍が受けの子に突っ込まれるのだが、

 

当時のなんの知識もない私は彼の神龍が謎の空間に格納されていることにパニックになっていた。

 

あれ、どこに入ったの?ってか何が起きているのえっ???

 

ええっっ????

 

理解が追い付かない。だが興奮している自分もそこにいる。

 

そんな私をのことは知らんとばかりに彼らは謎のプレイに突入しており生クリームまみれの乳首を舐められ喘いでいる受けの子。

 

全体的にボヤっとしているがかなりエロいことをしている空間

 

だがどちらも男。

 

ではあるが、

なんかエロい

 

でも性器は確認できず。

 

 

 

なんだこれは。

 

 

 

 

なんなんだ.....これは……。

 

 

 

 

 

あ、ああ、

 

 

 

 

 

気が付いたら作品を読み終わっていた私。

 

理解というものを超えて、官能的な描写のかめはめ波を全身に浴びた私のパンツの中は

バチバチにスパーキング。

 

以降、深淵に進みすぎた私はパンドラの箱を開く機会もめっきりと減り、

 

また一つ大人へと成長したのである。

 

終焉。

 

 

 

 

 

ゼルダの伝説 窃盗のオカリナ

勇者とは窃盗犯として有名な職業である。

 

古来よりRPG等のゲームに存在する職業である、その業務内容は無断で民家に押し入り、家財道具を漁り、壺や樽などをあらかた破壊した後、小さなメダルや金品、薬草等を奪い去っていく強盗行為と、

野に住うモンスターを剣と魔法でめっためたにしばき上げる弱い者いじめが主な業務内容である。

 

気まぐれで困ってる人を助けたり、村、街、世界を救ったりするのだが、総プレイ時間から対比してみると暇潰し程度の事柄であり、なんとなく世界を救った後も日夜犯罪行為に勤しんでいるのである。

 

そんなクズ丸出しの武装サイコパス野郎に私は一時期憧れを持ってしまっていた。

 

1998〜1999年

 

例によって私はゲームと言う名の底無し沼にドップリと浸かりきって最早抜け出すどころか沼と一体化する位にはまっていた。

 

そんな私が次に目をつけたゲームが

 

ゼルダの伝説 時のオカリナ

 

NINTENDO 64のゲームで当時ではとても注目されたゲームであり、ファミ通クロスレビューでは初の40点満点を叩き出すなど色々と伝説的なゲームなのである。

 

広大なフィールドを前転しながら駆け回る少年リンクが繰り広げる大冒険。谷出身の鼻デカおじさんことガノンドロフ大した理由もないのに世界を滅ぼそうとするので7年間コールドスリープしたのち檜山修之ボイスの金髪ピアスの不良になって刺殺しに行く、壮大なスペクタクルストーリーである。

 

また、例に漏れず主人公のリンクも民家に勝手に潜入、壺や木箱を破壊したり、宝箱から金を着服するなど、勇者としての基本業務はこなしていた。

 

 

そんなゲームとの出会いは霊山という何かしらの魑魅魍魎が潜んでいそうな霊峰に住んでいる父方の祖父の家であった。

 

春先のある日、従兄弟がゲーム機本体と一緒に持ってきたのが件のゲームである。

 

画面に映るゲームは、それはそれは面白そうで、やっている従兄弟も大変ご機嫌な様子でプレイしているものだから、単純な私はすぐに虜になった。その後数ヶ月に渡る両親へのネゴシエーションの結果、イトーヨーカドー福島店にて買い与えて貰った。

 

早速ウキウキでプレイをするのだが、最初のボスで出てくるデカい眼球の付いたカニの化け物や、夜の平原に無数に湧いて出る不気味な骨の怪物などにビビってしまい、ろくに進められなかった。

 

だが、私には困難な道を共に進んでくれる仲間がいた。

 

通学路が一緒で仲良くなったS君である。

 

当時の私は彼としょっちゅう遊んでいて、彼を度々我が家へと招いて交代でゼル伝をプレイしていたのだ。

複雑なダンジョン、迫りくる強敵、数々の困難を2人で突破して行き、主人公が7年の時を超え、新たな旅路へと向かう所まで行き着いたのだ。

 

物語も中盤へと差し掛かり、ワクワクが止まらない所で、帰宅の時間になり彼は家路へと向かった。

 

だが、そこで大きな問題が起きた。

 

彼を見送った後、ゲーム機を置いてある客間へと向かったのだが、

 

 

Nintendo 64 本体に

 

カセットが

 

刺さっていなかった。

 

 

 

アレ...?

 

 

 

私は母にソフトを片付けたのかと尋ねると、知らないと返ってくる。

 

勝手にソフトが消える...?
そんなはずはない。何故?何処に行った?

混乱焦りが私を飲み込む。

何処を探しても見つからない。

 

探して、探して、探して…

 

全盛期の山崎まさよし並みに探し回ったが、

見つかることはなかった。

 

 

さて。

 

 

聡明な皆様はお気づきだろう。

 

犯人を。

 

奴である。

 

S

 

彼は私のゲームを盗んでいきおったのだ。

 

更にとんでもないことに後日、あろうことかカセットの裏に書いてあった私の名前を上からペンで塗り潰して、何事もなかったかの様に我が家に持ってきてプレイするのである。

 

図太いどころか、サイコパスの所業

少し不審に思った私はに問いかける。

 

私「あれ?買ったの?そのゲーム?」

 

 

S「うん、買った」

 

 

 

あーあーあーあーあー。

 

なんで平気で嘘をつけるかねぇ、ええ?

 

私も私で無用心だったが、コイツはとんでもねぇクソガキであった。

良心の呵責罪悪感と言うものがないのかコノヤロウ。

 

目隠しで簀巻きにして瀬戸内寂聴の説法爆音のヘッドホンで3時間程聴かせた後、護摩でその嘘で塗り固めた上っ面を炙ってやろうか!!

 

 

 

とも思うが、当時の彼は私共々小学生2年生

間違いを犯すことはあるし、それを反省をする機会はいくらでもあるのだ。

 

 

間抜けな私はすぐ隣にいる男が犯人と疑うことなく、ゲームをなくしたと落ち込んでいたのだが、後に、の御母堂が、ウチで買ってないゲームをやってるとのリークを我が母に流しており、仕舞いには全てバレて、両保護者総出で大目玉を食らったそうだ。

 

 

ちなみに、Sくんと私に気を使ってかその顛末を私が知る事になったのは数年後になる。

その時には既にクラス替えで彼とは疎遠になっていた。事件から時間もたっていてそんなに気にしなかったのだが、私はなんとも悲しい気分になったのは思えている。

 

その後、流石の彼も猛省したのか大人しくなり中学時代には素朴な野球部員になっていた。

 

この件を総評すると、

 

窃盗はダメ、絶対。

やっていいのはゲームの中の勇者及びそれに準ずる者だけ。

 

以上。

更新遅れてすみませんでした。

 

 

 

第二章 小学校低学年 はじまりのドッヂボール ~自然の力を手に戦う男~

日本には義務教育という制度がある。私たちは小学校で6年中学校で3年、計9年間当該の施設に服役し刑務作業を行い続けなければいけないのである。勉学や道徳思想の押し付け、施設内清掃作業の強要、嫌いな食べ物を無理やり食わせる飯ハラスメントなど数多くの苦難が私たちを待ち構えているのだ。

 

だが、そんな刑務を小学生達はゲラゲラ笑いながらこなすのだから流石であると思う。

 

 

そんなこんなで私も例外なく小学校に入学する。

これは、義務教育という名の長い長い旅路の幕開けなのである。

 

1998年 4月某日

 

ぞろぞろと小綺麗な格好をさせた幼児達が白塗りのデカい建物に向かい、てこてこ歩いている。その群衆の中に一際頭の悪そうな面をした男児がいた。それが私である

 

私はピカピカの一年生になった。夢と希望を胸にその大きな門をくぐったのだが、そうそう世の中うまくはできていないものである。

 

幼稚園でよく遊んでいた、YくんNくんは別々のクラスへと振り分けられ同じクラスの顔馴染みといえば近所に住んでいたMちゃん位である。

 

Mちゃんは頭が良く、目がくりくりとした可愛らしい女の子で、後に同じ珠算塾に通う事になる。そんな彼女だが入学して数週間後、具合を悪くしてか授業中盛大にゲロを吐いてしまった事を覚えている。可哀想に...

 

かく言う私はというと小学校に入学するや否や連絡袋のファスナーのでできた引手をガリガリビーバーの様に噛みちぎるなどの奇々怪々な行いをした私はクラスに中で速攻で浮き始めたのである。

 

2人組を作れば余り、給食当番中は隣の女子に足を踏みつけられ、休み時間には6年生からジャイアントスイングをくらい、MR.ビーンという渾名を付けられるなど散々な感じであった。

 

だがまあ、2年生に上がるまでには新たに友人ができた。通学路が同じSくん、獣医の息子のKくん等とはよく遊んでもらった記憶がある。


それと忘れていけない事がもう一つあった。

私の通学路の途中にあるピアノ教室に通っていたSちゃんの事である。

彼女は家の周りを木で囲み、クソでかい門を構えた謎屋敷から登下校しているお嬢様の様な娘で、大人しくどこか儚げな雰囲気を持っていた彼女に私はささやかな恋心を持っていた。いや、持ってしまっていた。

 

これが後に、私が小学校の記憶の中で、最大級の忘れたい出来事を引き起こす事になる。

 

それはひとまず置いておき、2年生に上がった私に転機が訪れる。

 

小学生の休み時間の代名詞とも言える競技、ドッヂボール。

ご存知の通りそれは大変暴力的な蛮族の球技であり、二手に分かれたチーム同士が抗争をし、手に取った球を親の仇の様に敵に投げつけ、1人も残さず皆殺しにした物の勝ちとなるチーム型バトルロワイヤルゲームだ。

 

例に漏れず私もその球技に参戦し、日夜球をぶつけ合っていた。だが私は非力なもので球をしっかりと片手では投げられず避けてはパスを回す、腰抜けファイターであった。

 

そんなある日、私があげたロブパスの飛距離が短く、相手に取られかけたのだが、上から降ってくる球を捕球に失敗しアウトを奪った事があった。

 

内野に1人残された私はある事に気がつく

 

基本的にこの球技はボールを真正面から捕球する。

だが、上から降ってくる球を捕球する事には皆、慣れていない。

 

次にボールを貰った私はあえて、空高く相手の頭上にボールを放り投げた。

風に揺られながら重力の力で自由落下するボールは相手の腕を擦り抜け、地面に突き刺さる。

 

アウト。

 

これだ。 

自然の力を使い私は次々と天からボールの雨を降らせた。

 

アウト。アウト。アウト。

 

ただ1人の生存者である私が、残る数名の敵を駆逐し方陣営に勝利をもたらした。

 

菅 野 く ん 大 勝 利 。

 

それ以来、ドッヂボールでは優位性の人材として重宝され、無駄に高い回避力謎の攻撃で敵陣営を撹乱するトリックスターとなったのである。

 

なお、数ヶ月後には運動神経の良い奴らが私の必殺自由落下攻撃克服し、みんなからの熱い掌返しを喰らう事になる。

 

まあそんなこんなで、学校生活において悪くない位置取りで序盤の2年をこなして行ったのだが、

 

そこから先がある意味で、私の転落の始まりとも言える中学年(中学生ではないぞ)、の始まりなのである。

 

to be continued...

カービィとの出会い

私の人生をこれほどまでに支配し、大きく歪ませた存在はこれしかないであろう。

 

ゲーム

 

まあ、ゲームといっても種類は沢山ある。トランプウノといった軽い物から、人狼や各種ボードゲームなど様々だ。合コンで阿保大学生が、覚えたての安酒を飲み散らかしながら合法的にセクハラを横行するために開発されたであろう王様ゲームも、一応ゲームと呼ばれているものに属するのであろう。中世の高貴なる王族たちは、後の世に住まう若者たちの乳繰り合いの道具に、自分たちの地位が勝手に使われていると思うと、さぞ遺憾であろうと思う。

 

まあそれは置いておいて、それはではピンとまっすぐに続いていたであろう我が人生の道を、直角ギリギリまでへし曲げたゲームというのがTVゲームだ。

 

1996年 某日

 

以前に書いた借家に住まう友人のYくんの家に幼児の私はニコニコと遊びに出向いていた。彼の家は大変狭く、遊びに行くと彼の父親が寝室で、洋画のサイコキラーが持つチェーンソーの様な爆音でいびきをかいていたことを覚えている。

(名誉のため補足するが、彼ら家族は数年後引っ越し、そこそこ大きな家に住まうことになる。)

 

そんな彼の家には、ひとつ、大きな財宝が眠っていた。

 

スーパーファミコン

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星のカービィスーパーデラックス

 

我々、長野博ウルトラマンをやってたのをリアルタイムで見てた世代には馴染みの深いゲームであると思いたい。

 

このゲームは綺麗なグラフィックとステージのボリュームが豊富で、カービィ様々な能力をコピーでき、とても多彩な遊び方ができるゲームだ。(私はジェット能力が好きだった)

そして一番の特徴がデータが飛びやすいことであろう。

 

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↑これ

 

このゲームはグラフィック処理の向上のため特殊なチップを使っており、とってもデリケートなソフトとなっているのだ。

ちょっとゲーム機に足を引っかけたりするだけで、たちまちカービィ達の冒険が消滅されてしまう。

 

Yくんと遊んだ次の日には、すでにデータが消えていたなんてこともざらではなかった。

だが好奇心と探求心が油田の如く湧きあふれる幼稚園児パワーの前にはデータが消えることなんて大したことではなかった。

 

でかいペンギン大王からプププランドを救い、データが消え、また今度は暴れるでかい鳥の育児を手伝い、データが消え、地元を戦艦で爆撃しようとするナルシスト一頭身仮面をしばき返して、データが消え

 

終わらないカービィの戦いは4,5歳の私にワクワクを与え続けた。

その結果、私はゲームという沼に両足どころか頭から浸かって行ってしまったのである。

 

きっとゲームなんてやってなかったら勉学に熱心に励む真面目な人間になれたであろうとも思う。(まあ無理だろうが)

 

だが、いいのである。

 

ゲームが無ければ私の人生は、私の人生でないのだ。

 

NO GAME NO LIFE ...!!!

第一章 そして兄になる。愛と友情と哀しみの幼稚園。

1996年 3月2日

 

幼稚園入園を控えた私のそばに、母はいなかった。祖父祖母の元にいるとはいえ、4歳児にとって両親が離れている事は寂しいものだが、私はそれを耐えられるだけの理由があった。

 

これから私はになるのだと。

 

数日後、生まれたばかりの弟を抱き抱えながら両親が帰ってきた。

この時私は多分、生まれて初めて見る自分よりも小さい人間に、身内として兄としてどげんかせんといかんと、就任したての東国原英夫の様にいき勇んでいたんだと思う。

 

1996年 4月某日 福島市内 某保育施設

 

そんなこんなで、私は幼稚園児になった。

 

以前書いた通り、当時の私はとんだクソガキだったのである。例えるなら身内以外の人間には心を開かない凶暴な小型犬の様な生き物で、保育士達を大変困らせていたと思う。

 

以下保育園の先生との会話を抜粋

 

Q.先生「おはようございます!」

A.私「おはよう...とは、言わないッッ‼︎‼︎

(言え)

 

Q.先生「お名前は...?」

A.私「菅野石コロッッ‼︎‼︎

(拓也だバカタレ)

 

また、暴れる私を捕まえた保育士の顎を目掛けてロケット頭突きしたり、雨の日友人と全身泥まみれになって帰って来たりと、手のかかるリトルモンスターだったのである。

 

そんな私も集団生活の中で角が取れ丸くなり、友人ができて落ち着いたのである。

よく遊んだ友人は、掘っ建て小屋みたいな借家に住んでいたY.Sくん。

今後小中高と長い付き合いになるS.Nくん

 

彼らと私は赤組に所属し、よく遊んだものだった。

 

赤組として1番深い思い出はRちゃんという女児との日々である。

Rちゃんは私に好意を寄せており、遠足に行く時や運動会の時もべったり私について回っていた。

私も私で、生まれて初めて受ける異性からの真っ直ぐな好意が心地よく、鼻の下伸ばしてデレデレしていたことは間違いない。

 

だが、幸せは突然終わりを告げる。

年長クラスに上がる際、大人たちによるクラス分けが2人を切り離した。

 

彼女は林組、なんとなく頭の良い子が集まっている印象だった。

私は池組、名前に通りなんか湿っぽい組だったと思う。組の担当保育士が柴田理恵似の強烈なババアだった事は良く覚えている。

 

池組に着任してからの私は、プランターで育てているアサガオから色素を抽出し、色のついた水を作るカラーコーディネーターとしての表の顔と、

 

送迎バスの中で手製の割り箸鉄砲や、ギッチギチに丸めたチャンバラ用の新聞紙ブレードを売り捌く武器商人という裏の顔を使い分け生活していた。

 

そんなある日、彼女と園内の砂場で再会を果たす。

 

駆け寄る私、その先にいた彼女の隣には別な男と、そいつと一緒に築き上げた砂の城が建っていた。

 

私は言う、久しぶりだと。彼女も同じく答えた。

 

勇気を振り絞り、また以前の様に遊んでくれないかと彼女に問うと、彼女はこう言い放った。

 

「いやだ、私は○○くんと遊ぶの、あっち行って」

 

頭が大きく揺さぶられ、目の奥が何とも言えん感覚に支配される。

そうシンプルにすごくショックだったのだ 。

 

目を下ろした私の視線の先には、砂塗れの固く握られた男と女の手があった。

 それが、すべてを物語っていたのだ。

 

どうして、何故、私はいったい何を間違えた。

 

発表会の配役決めで私がジャンケンで無双し、複数人の女児を泣かせてしまった事か...

 

それとも友人と泥だらけになったって遊んだあと、友人と自分の新しいパンツを回収するため全裸で林組に乗り込んだ事がいけなかったのか...

 

何にせよ彼女を落胆させて、気持ちが新たな男の元へと向かって行ってしまったことは事実である。

 

張り裂けそうな想いを胸に、私は黙ってその場を後にした。

失った愛と哀しみに打ち拉がれながら帰りの送迎バスに揺られ家路に着いた。売れ残ったアサガオ水でリュックをびちゃびちゃにしながら。

 

長い人生の第一歩、私は愛とそれを失う哀しみを覚えつつ次なる階段、小学校へと人生の歩みを進めるのであった。

 

to be continued...